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ライフセーバー

作者: 西禄屋斗
掲載日:2025/08/24

 夏──海水浴。


 誰もが波と戯れ、砂浜に寝そべって肌をこんがり焼いているというのに、オレはただ黙々と海に向けた目を光らせていた。照りつける太陽の日射しに、うだるような暑さ。オレは用意してきた経口補水液を口に含んだが、顔をしかめたくなるくらい、すでにぬるくなっていた。


 だが、それでもオレは海の監視を続けた。それこそがオレの仕事だからだ。


 オレはライフセーバーだ。海水浴場に訪れる海水浴客たちの安全を監視し、万が一、誰かが溺れたりしたら人命救助に当たる。一見、格好良く思えるかも知れないが、結構、仕事の内容はハードだ。まず一時も気を抜けない。いざ事故が起きれば一分一秒を争う。


 オレがこの仕事を選んだのも、小学生のとき、海で溺れた実体験があるからだ。あのとき、もし近くにいた大人が助けてくれなかったら、オレの命はなかっただろう。オレはそのときの経験を踏まえて泳ぎを上達させていったし、人命救助に必要な知識と技術を学んだ。せっかくの楽しい海水浴場が、痛ましい事故現場にならないようにと。


 今日の未明、この近くを台風が通過した影響で、普段より波が高くなっていた。遊泳禁止は解除されているが、こういう日は注意しないといけない。それに砂浜に打ち上げられる流木なども事故の元だ。海ばかりでなく、波打ち際にも警戒しておく必要があった。


 オレは監視台の上から双眼鏡を使って海水浴場を一通り見渡した。気温が三十五度近くに達している休日のせいか、遠方からの海水浴客も多く、かなり混雑し始めている。これは迷子の捜索願も多そうだ、と感じた。


 ふと、芋洗い状態の波打ち際から沖合の方へと目を転じてみた。ここには、よく水上バイクの侵入がある。もちろん、水上バイクと遊泳者がぶつかったら大変だ。水上バイクの搭乗者には、むやみに海岸へ近づかないよう警告してあるが、それを無視する者は後を絶たない。


 そのとき、オレは一人の女性の姿が目に止まった。海岸から二百メートルといったところだろうか。若い女性がぽつんと海を漂っているではないか。


 溺れているというわけではない。胸から上を出しており、立ち泳ぎをしているようだ。しかし、どんどん岸から離れて行ってしまっている。ひょっとすると波が岸に打ち寄せた後、沖に戻ろうとする際に発生する強い流れ――離岸流りがんりゅうに巻き込まれたのかも知れない。


 オレは手元の無線機で本部に連絡した。


「こちら名波ななみ。沖合に女性一名を発見! どうやら流されているようです!」


『了解! 至急、救命ボートを派遣する!』


 速戦即決。十秒と間を置かず、待機していたボート班三名が救命ボートを抱えて走り出した。ホイッスルを鳴らし、海水浴客たちに道を開けるよう警告する。海へ到達すると、ボートを押しながら、一人、また一人と阿吽の呼吸で乗り込んでいった。


 ボート班はオールを操りながら、海へと漕ぎ出した。先頭のライフセーバーが、時折、ホイッスルを吹いて遊泳者に近づかないよう注意を与える。好奇心いっぱいの遊泳者は何が起きたのかと興味津々で、なかなか進路を譲ろうとしない。こうしている間にも女性は岸から離れて行っているように見える。オレは双眼鏡でボート班を見つめながら、胃がキリキリするような焦燥を味わった。


 そのとき、急にボートが転覆した。右の方へとかしぎ、乗っていた三人がアーティスティックスイミングの競泳者みたいに次から次へと落ちていく。何事が起きたのか、オレは訝しんだ。


 よくよく見てみると、近くに難破船の残骸のような板きれが浮かんでいた。どうやらこれがボートに穴を開けたらしい。しかも運が悪いことに、落ちた一人がやはり板きれで頭を負傷したようだ。水に落としたインクのように血が海に滲んでいくのが双眼鏡から確認できた。


 次の瞬間、オレは躊躇なく監視台から飛び降りた。本来であれば、何があろうとも無断で監視台を離れてはいけない決まりだ。今日のオレのローテーションはあくまでも監視役であって、人命救助は別の者が担当することになっている。


 だが、事態は急を要した。ボートから転落した仲間たちは負傷した一名を岸へ運ぼうとしている。それなのに沖合の女性に対しては誰も助ける者がいなかった。


 オレはTシャツを脱ぎ捨てると、海へと飛び込んだ。すぐさまクロールで女性救出に向かう。荒い波が打ち寄せてきても、オレはそれを物ともせず、力強く掻き分けるようにして進んだ。


「大丈夫ですか!?」


 日頃の鍛錬の賜物で、オレは沖合の女性のところまで泳ぎ着くことが出来た。女性と同じように流されてしまうのでは、という不安もあったが、運も味方してくれたらしい。オレはさらに女性へ近づこうとした。すると──


「来ないで!」


 女性はオレが近づくのを拒絶した。なかなかの美人だが、ちょっと気の強そうな顔つき。実際、救助に来たオレの方を柳眉を逆立てるようにして睨んでいた。


「それ以上、沖合に行くと危険です! 安全に配慮して誘導しますので、一緒に戻りましょう!」


 オレはひるむことなく説得したが、彼女は断固として首を振った。


「イヤ! 私のことは放っといて! それ以上、こっちに近づかないで!」


 彼女は自殺でも図る気なのか。そんなこと、オレの目の前でさせるわけにはいかない。


「考え直してください! そんなことをしたら、ご両親が悲しみますよ?」


「何言ってんのよ、あなた!? そんなの関係ないでしょ!?」


「いいえ! ライフセーバーとして、あなたを見捨てるわけにはいきません!」


「私を助ける!? ふざけないで!」


「ふざけてなんていません! さあ、こっちへ! 陸に上がってから、ちゃんと話を聞きますから!」


「陸へ、ですって!? 冗談じゃないわ! 誰が行くものですか!」


 理由はよく分からないが、彼女は激昂していた。しょうがない。こうなったら力尽くでも。


 オレはさらにクロールで彼女に近づいた。


「ちょっと、来ないでったらぁっ!」


 激しい抵抗に遭いながらも、オレはやっとのことで彼女を捕まえた。


「大人しくしてください! さあ、戻りましょう!」


「戻る? 私はたった今、家に帰るところだったのに! あなたねえ、私を誰だと思っているの!?」


「えっ?」


 そう言われてから、オレはまじまじと彼女を見つめた。


「どうやったら、この私が溺れ死ぬって言うのよ?」


 呆れ顔の彼女は、下半身に虹色の鱗を持つ人魚だった。

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